東京地方裁判所 昭和31年(ワ)4331号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔事実と判断〕家屋賃貸人たる原告は賃借人たる被告に対し従前の賃料一ケ月一千四百円を二千円に値上げの要求をしたが、被告はこれに応じ兼ね一ケ月金千六百円を原告に現実に提供したところ、原告はこれが受領を拒絶したので、被告は原告の夫訴外青木高を供託物交付請求権者と指定して弁済のため供託した。原告は右供託は無効であるとして賃料不払を理由に契約解除を主張した。判決は被告のした弁済供託は無効であるけれども口頭の提供と見ることができるから被告に履行遅滞の責なしとして原告の請求を棄却した。判決はつぎのように説明している。曰く。
「いわゆる弁済供託は供託物の交付を請求しうべき者として債権者を指定しなければならず、錯誤などにより債権者でない者を指定した場合には真正の債権者のために供託としての効力を生じないことは明かであるから(供託法第九条参照)被告が賃料債権者である原告を供託物交付請求権者として指定しないで青木高を指定してした右供託により原告に対する賃料債務を免かれることはできないものというべきである。被告は青木高が原告を代理して賃料受領の代理権を有していたものであること、原告が青木高の妻であつて同人と同棲し共同生活を営んでいること等から青木高宛にした右供託により原告に対する賃料債務消滅の効力が生じた旨主張するが、右主張はとうてい左袒しえない。
しかしながら前示のとおり被告は昭和二十九年一月分の賃料を原告を代理してこれを受領する権限を有する青木高に現実に提供したものであるから右賃料の履行遅滞による責任を免かれたものというべきであり、また賃料の支払のように同一額を継続的に給付する債務関係において賃貸人が将来に対する賃料の増額を請求し、賃借人が現実に提供した従前どおりの賃料を受領することを拒んだ場合には、少くとも賃料増額請求を撤回するか、または先にした受領拒絶を解消しない限りその後毎回の賃料についても包括的に予め受領を拒んだものと解するのが相当であり、したがつて賃借人はいわゆる口頭の提供をすることにより債務不履行により生ずべき責任を免かれる理であるところ、本件においても原告またはその賃料受領の代理人青木から昭和二十九年二月分から昭和三十一年四月分の賃料につき昭和三十一年五月二十四日の催告以前に、前記増額請求を撤回しまたは受領拒絶を解消する旨の表示をした事跡を窺うことができないから被告は右賃料につき口頭の提供をすることによりその履行遅滞の責を免かれうるものというべきである。しかして本件において被告がしたように債権者でない者を供託物交付請求権者と指定してした供託はその本来の効力を生じえないこと前説示のとおりであるけれども供託物交付請求権者と指定された者が当該弁済受領の権限を有するものであり、その者に供託通知がされた以上債務者が弁済の準備を了したことを通知してその受領を催告したもの、すなわち口頭の提供をしたものと解するを相当とするところ、被告が本件供託において供託交付請求権者として指定した青木高が賃料受領の代理権を有していないことは前記のとおりであり、また供託通知が前記供託の日時頃青木高になされたことは証人青木高の証言等によりこれを認定するに難くないから被告は昭和二十九年二月分以降昭和三十一年四月分までの賃料につき右供託ならびにその通知をすることにより口頭の提供をし、もつて右供託のときから履行遅滞の責任を免かれたものであり、したがつて原告の賃料不払を理由とする本件賃貸借解除の意思表示はその前提を欠くものとしてその効力を生じないものといわねばならない。」